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NY地区の稀有のブルーグラスプロモーター:Doug Tuckman

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(↑手前の右に座っているのが、Doug Tuckman です。)


音楽の一般への普及には、多くの人の活動が係わっていますが、ミュージックプロモーターの存在も大きいものがあります。

ブルーグラスの世界でも、60年代、70年代のブームのニューヨーク地区での波及に大きな貢献をしたプロモーターがいます。Doug (Douglas) Tuckman です。

この人は、New York Bluegrass Club を主催して、ニューヨーク地区で、当時、ブルーグラスのフェスティバルやイベントを企画運営し、多くのミュージシャンを招聘したりしてきた人です。

又、70年代に "Pickin'" という雑誌があったのをご存知の方も多いかと思いますが、彼は、この雑誌の編集者でした。"Pickin'" は、Bluegrass Unlimited 等と違って、定期購読をベースにした雑誌ではなく、店頭売りが主体の雑誌で、折込のグラビヤ等が売りでした。

私も、学生の頃、この雑誌をよく買っていましたが、いつの間にかなくなってしまって、寂しく思ったことを覚えています。

彼は、残念なことに、昨年、亡くなってしまいましたが、直前まで、ニューヨーク郊外のママロネック・シアターでのブルーグラス・コンサート・シリーズを毎年続けていました。ここには、ずいぶん有名なプレヤーが出演していて、我々も楽しませてもらいました。

商業的には、なかなか大変だったと思うのですが、ブルーグラス音楽にかける思いは、並々ならぬものを持っていました。

彼は、時々、私が毎週行っていたビレッジのブルーグラスジャムにも顔を出して、ギターを弾いたり歌を歌ったりしていました。自身がうまいプレヤーというわけではないのですが、音楽愛好家や演奏家にはとても親切でした。私のような日本人にも良く声を掛けてくれたものです。

また、彼がオーガナイズしていたママロネックのコンサートでは、演奏が始まる前の1時間ぐらい、ジャムをする時間があり、我々も結構そこでジャムっていたので、顔見知りでもありました。

そんなこんなで、彼が、当時担当していたFM放送のライブ番組に、我々の日本人アマチュアバンド Orient Express が出演したこともあります。(この件は、以前のブログで触れています。)

Doug は、さすがにいろいろなプレヤーの事を知っていて、いろいろな話をしてくれました。

例えば、この業界で一番厳しい演奏家は、ドイル・ソーソンだそうで、彼の元からは、若手がたくさん輩出しているのですが、その指導は非常に厳しく、なかなかついていけない人がいたそうです。ドイルのマンドリン・プレーは、本当にプリサイスですが、そのような性格が反映しているのかもしれません。

また、ビル・モンローの女性好きについても、いろいろ話してくれました。

例えば、女性バンジョー弾きのアリソン・ブラウンが初めてビル・モンローを訪れた時、ビルはいつもの調子で、アリソンに向かって「ひざに乗りなさい」と言って、アリソンをひざに乗せて、今で言えば破廉恥行為に近いことを始めて、アリソンのひんしゅくをかった、とかいうこともあったそうです。(真偽は確かではありません。)

そういう暖かい感じの人でしたが、体調は以前から優れなかったようで、ママロネックのコンサートの後など、列車で一緒に帰ったこともあったのですが、咳がとまらなくなったり、ちょっと心配になった程でした。

最近、訳出された "Bluegrass - A History" (邦訳:「ブルーグラス-1つのアメリカ大衆音楽史」)にも Douglas Tuckman のことは、ちゃんと書かれています。(P345, P365) もう、歴史的な人になっているんですね。

   ★  ★  ★

最近、アメリカでブルーグラスの全盛期を作り上げた人が、続々と亡くなりつつあります。時代の流れで、ごく自然のことではありますが、アメリカでは、これを引継ぐ若い世代が慄然と育ってきています。プロモートする人も世代が交代しています。

別に、アメリカの音楽であり、我々の作ったものではないのですが、それでも当時の日本でも受け入れられた優れたところのある音楽です。当地でも、若い人たちに、この良さが伝わっていけばいいなぁ、と思うばかりです。

  by kasninoyh | 2005-07-08 22:29 | ブルーグラスプレーヤー

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